不安の合間、つかの間の幸福。
不思議にそれらはクッキリとしていて、フィルムに刻まれたような感覚に襲われる。
卒園祝の望遠鏡で、初めて見た月の白いお盆のようなでこぼこ、入学準備のための手縫い、学校へ初日の息子の浮かれ姿、つかのまの帰省と旅先の観光。
アニメのSF映画DVDを最近よく借りて見る。テレビの情報だけを見ることに耐えられなくなったり、それでDVDを借りにいっても普通のエンターテイメントを見て現実逃避すると余計に悲しくなりそうで、迷った末にSFを見る。それらは、今の状況がすでに未来の範疇に入っていることを告げている。特に宮崎アニメを見ると、様々な予言と思えるような側面があり、もはやファンタジーとしてではなく、かなりリアリティーのある示唆に富んでいる部分がクローズアップされてくる。それで、すごく興奮する。萩尾望都の漫画も、読み直す時期にきている。すごく興奮する。今は、かつてのファンタジーであったSFが、どのくらいリアリティーがあったか、それが試されると感じる。
現代作家の作品も、演劇につけダンスにつけ音楽や美術につけその他のあらゆるものについて、過去の作品が今の現実と呼応するかどうか、どれだけ現実に感覚を開いていたものかどうか?問われるだろう。それらは、徐々にクッキリと浮かび上がってくるだろう。
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