2011年4月29日金曜日

誰かのことを考える範囲

ずっと気が立っている。
時々寒気のような孤独感が襲う。

自分が誰かのことを考えられる範囲の狭さについて思い当たる。そういうのはコミュニティーの中で育まれるものなのだろう。そういった、お互いに誰かのことを考えるコミュニティーの中で育つということは都市的な場では稀なのかもしれない。何かの事情で人々は切り離され、管理との関係だけで生きなければならなくなってきた。その息苦しさが、よけいに他者に対して無関心になっていく。今はそれを取り戻そうとしている。大変なことが起きるとき、それを取り戻そうとする力がよみがえるのかもしれない。そういう意味では、何かが変わって行くのかもしれない。管理に依存しない関係において何かを取り戻したい。

ただ、マスメディアは相変わらず人々をコントロールしようとしているように思える。慈善を装った管理が強められるのが怖い。
人々がマスメディアから離れる方法はないのだろうか?

自分の中の何かが萎縮し、同時に何かが目覚め始めている。
麻痺させていたどこかの部分が目覚めて、いやでも過敏になって不安や絶望感を伴う。
と同時に何をするべきかということについて潜在的な部分が動き出そうとしているようにも感じる。

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