2011年4月11日月曜日

不安の観察−1

私自身の不安な感覚は震災が起きた当初から様々な変貌を遂げた。

当日の夜の深い深い絶望的な悪寒から始まって、翌日以降には現実的に不穏な予感に対処しようと様々な準備に動いた。放射能の影響がどのように移行するか予測した。野菜の汚染、水の汚染に対応するため、水をたくさんためておけるタンクを買って、水道水をためておいたり、野菜をある程度たくさん買って保存食的にしたり、風呂に水を溜めたり、地震が今後また起こって、息子が生き別れになっても身元が分かったり本人を励ませるようなお守りを作ったりなど。何をやっても、まだやりたりない気がして次の行動について考え続ける。
放射能への不安から二度に渡って西に移動した。一度目は3月15日くらいからだったと思う。友人から、子どもは非常に放射能に弱いから、パニックになる前に旅行に行くくらいの気持ちでもいいから西に退避した方がよいのではないか?というメールをもらって、募って来た不安が爆発したように荷物を詰め、その日中に退避しようと決意。まわりの人々もそのように行動しているように見えてくるから不思議だ。京都に着いて、しばらくは不安の衝動がずっと続いていた。が、京都の親戚があまりにも普通な日々を過ごしているのに感染してやっと少しずつ気持ちが緩んでリラックスした。それでやっと冷静に考えられる心の余裕を持てるようになった。

息子の卒園式を挟んで二度の退避を経て3月末には藤野に戻る。息子の小学校入学に集中することでしばらく平穏な日々を過ごす。そのことで、現実に起こってしまったことについていろいろ考える余裕ができた。

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