「別の可能性」をマイノリティーの価値と言い換えるとして、それらについて表面的には語られたとしても本質的には価値として機能する可能性は絶望的に削がれ続けているように感じる。様々なNPOがそれらと戦っている。私自身もある種のマイノリティーだ。だから、そういった戦いに共感するし、励まされるし、何かが動くかもしれないと希望を抱く。しかし、デモに参加したあとの選挙結果を目の前にしてつくづく感じたのは、それでも、私たちは限りなくマイノリティーで、圧倒的にマジョリティーを動かす力からは遠いところにいるという実感だった。
それで、どんな戦いも、ネガティブなシステムについての理解無しには非常に難しいのではないか?という思いを強くするようになる。それは、善意を前提にした戦いになってしまう場合、単に無視され、赤子の首を捻るように簡単にねじ伏せられてしまう。全うな人との関係を前提にコミュニケーションについて語ったり、自然との共生、生態系についての理解、その他言葉を尽くしたまっとうな正論を元に対応していっても、マジョリティー側にいる人々は、そのような物事に耳を貸す気は最初からない。そこにあるのは現実逃避の薄い頑丈な膜、又は前もって用意された定型の回避的思考の壁なのだ。また、普通の人々に向けて共感を起こすために、ある前提を共有した人どうしが打ち立てた正論を展開して行っても、それによって共感者をある程度得られたとしても、コアな共感者がむしろ、壁をつくって、それ以外の人々がそれについて考える余地を奪ってしまう。
そういった壁を作らずに、常に考える余地を与え続け、空気を動かす状況を生むためにはいったいどんな具体的な方法が可能なのだろうか?
人それぞれに覆い尽くされた不安として、今までの価値観を動かす事への恐怖、安定した状況への回帰願望、何も無かったことにしたい、自分が感じている恐怖を認識するのが怖い、など様々な反応があって保守的な方向に世論は動いて行くのだろうか?それとも、これだけの事が起きたのだから、前提をもう一度顧みて、本当に思いきって前提にメスを入れて新しい可能性を模索して行こうという方向に動くのだろうか?もしかしたら、両方に引き裂かれて行くのだろうか?
2011年4月13日水曜日
2011年4月12日火曜日
不安の観察−3
また、原発について、ネットなどで、テレビ以外の情報を収集。時間が経つにつれ両極的な情報発信者や思考の傾向が目立つようになる。「必要以上に不安になるな、安心しよう」という方向と、「非常に危険だという事を正しく認識しよう」という両極な情報が増えて行く。マスコミが情報をある程度隠蔽したり故意に選択したりしている傾向ははっきりと感じる。ネットは個々人の感覚からそれに深く反応することで様々な傾向に引き裂かれて行くのかもしれない。反応に反応するものだから、その両極さ加減はどんどん加速的に離れていく。基本的に、原発の設計や現場に昔関わっていた人で今は様々な危険についての証言者となっている人の情報を収集する。原発事情の背景となっている東電とマスコミの関係、政治との関係、アメリカとの関係などが浮き彫りになってくる。
人間社会を動かしている大半がネガティブな感情に端を発するコンプレックスや上昇志向や経済的優位への志向だし、それら閉塞感に伴う、八つ当たりの連鎖の世界だと、それは震災以前からも感じていた。それでも様々な可能性というのは常にあって、物事を動かす契機というのはあると思って来た。けれども、今回の状況と背景を見るにつけ、私がいかに楽観的に考えすぎていたかを思い知った。組織が大きくなるということに伴う弊害についてつくづく考える。規模がある程度以下なら、常に別の可能性や隙間が存在する余地というものがある。けれども大きくなりすぎたら、そのネガティブなエネルギーが限りなく権力的暴力的に人を圧倒し、組織の中で、あるいは、間接的に影響を受ける小社会の中で、権力に影響を受けた公的な学校などの中で自分が何を感じているか?何を望んでいるか?何をイヤだと思うか?そういった個人的な感覚が機能する余地すら失われる。そして、それら閉塞感に伴う八つ当たりの連鎖はより深まり、逆に個人的な感覚を持ったマイノリティーな人間に対する排他性も深まっていく。別の可能性を存在させる余地を削いでしまう。それが人間の現実だと受け止めきることができるか?受け止めなくてはならない。もしそれができるなら、受け止めた上で模索する「別の可能性」のありかたについて考えることもできるかもしれない。
人間社会を動かしている大半がネガティブな感情に端を発するコンプレックスや上昇志向や経済的優位への志向だし、それら閉塞感に伴う、八つ当たりの連鎖の世界だと、それは震災以前からも感じていた。それでも様々な可能性というのは常にあって、物事を動かす契機というのはあると思って来た。けれども、今回の状況と背景を見るにつけ、私がいかに楽観的に考えすぎていたかを思い知った。組織が大きくなるということに伴う弊害についてつくづく考える。規模がある程度以下なら、常に別の可能性や隙間が存在する余地というものがある。けれども大きくなりすぎたら、そのネガティブなエネルギーが限りなく権力的暴力的に人を圧倒し、組織の中で、あるいは、間接的に影響を受ける小社会の中で、権力に影響を受けた公的な学校などの中で自分が何を感じているか?何を望んでいるか?何をイヤだと思うか?そういった個人的な感覚が機能する余地すら失われる。そして、それら閉塞感に伴う八つ当たりの連鎖はより深まり、逆に個人的な感覚を持ったマイノリティーな人間に対する排他性も深まっていく。別の可能性を存在させる余地を削いでしまう。それが人間の現実だと受け止めきることができるか?受け止めなくてはならない。もしそれができるなら、受け止めた上で模索する「別の可能性」のありかたについて考えることもできるかもしれない。
2011年4月11日月曜日
不安の観察−2
今現在、ある意味で、とてもリアリティーのある状況が浮上しているように感じる。つまり、ここ20年〜30年くらい何かが伏せられている見えない危険や暴力的コントロールが水面下でどんどん膨らんでいる感じがあった。その一方で、ずっと表面的に平和や作り笑顔の関係性で覆われているというような、閉塞感や嘘っぽさを感じ、それに対して、時々力が抜けるような無力感に襲われる事があった。小学生の頃からずっと、そういった感覚があった。ここ10年はそれがどんどん強化されつつあるように感じていた。今回の原発の事で、そこからある意味で解放され、現実が水面上に顔を出したと言えるかもしれない。はっきりと目の前にあらわれた現実世界。そのことによって、ときどき非常にモチベーションが上がるときがある。
反面、もう、今までのほほんと感じたり考えたりできる小さなできごとを無条件で楽しむような日々は終わってしまった。全てのものごとの背後には黒い影があってじわじわと蝕んでくる、そういった世界として生きなければならない、そういう絶望的な悲しさに覆われてしまうときがある。そういった両極な感覚が時として私を襲う。また、ある場合には強烈な不安が心身を襲って、東京や横浜には一歩も近づけない、警報のようなものが自身の深いところから鳴り響いてしまうという時がある。
福島をはじめ、震災の非常に大きかった地域の報道について、過去の状況とは全く違った感覚を持って見ることになった。それは、非常に辛くて直視できないという感覚。悲しさや絶望感を伴い、現実を受け止める力を削いでしまうこと。本当に受け止める力を持つためには、もしかしたら、現地に行くしかないのかもしれない。しかし、現在、それができないでいる。それが今の私の現実だ。自分にとって最も身近な場所における、現実を受け止めつつ観察することから始めるしかない。
反面、もう、今までのほほんと感じたり考えたりできる小さなできごとを無条件で楽しむような日々は終わってしまった。全てのものごとの背後には黒い影があってじわじわと蝕んでくる、そういった世界として生きなければならない、そういう絶望的な悲しさに覆われてしまうときがある。そういった両極な感覚が時として私を襲う。また、ある場合には強烈な不安が心身を襲って、東京や横浜には一歩も近づけない、警報のようなものが自身の深いところから鳴り響いてしまうという時がある。
福島をはじめ、震災の非常に大きかった地域の報道について、過去の状況とは全く違った感覚を持って見ることになった。それは、非常に辛くて直視できないという感覚。悲しさや絶望感を伴い、現実を受け止める力を削いでしまうこと。本当に受け止める力を持つためには、もしかしたら、現地に行くしかないのかもしれない。しかし、現在、それができないでいる。それが今の私の現実だ。自分にとって最も身近な場所における、現実を受け止めつつ観察することから始めるしかない。
不安の観察−1
私自身の不安な感覚は震災が起きた当初から様々な変貌を遂げた。
当日の夜の深い深い絶望的な悪寒から始まって、翌日以降には現実的に不穏な予感に対処しようと様々な準備に動いた。放射能の影響がどのように移行するか予測した。野菜の汚染、水の汚染に対応するため、水をたくさんためておけるタンクを買って、水道水をためておいたり、野菜をある程度たくさん買って保存食的にしたり、風呂に水を溜めたり、地震が今後また起こって、息子が生き別れになっても身元が分かったり本人を励ませるようなお守りを作ったりなど。何をやっても、まだやりたりない気がして次の行動について考え続ける。
放射能への不安から二度に渡って西に移動した。一度目は3月15日くらいからだったと思う。友人から、子どもは非常に放射能に弱いから、パニックになる前に旅行に行くくらいの気持ちでもいいから西に退避した方がよいのではないか?というメールをもらって、募って来た不安が爆発したように荷物を詰め、その日中に退避しようと決意。まわりの人々もそのように行動しているように見えてくるから不思議だ。京都に着いて、しばらくは不安の衝動がずっと続いていた。が、京都の親戚があまりにも普通な日々を過ごしているのに感染してやっと少しずつ気持ちが緩んでリラックスした。それでやっと冷静に考えられる心の余裕を持てるようになった。
息子の卒園式を挟んで二度の退避を経て3月末には藤野に戻る。息子の小学校入学に集中することでしばらく平穏な日々を過ごす。そのことで、現実に起こってしまったことについていろいろ考える余裕ができた。
当日の夜の深い深い絶望的な悪寒から始まって、翌日以降には現実的に不穏な予感に対処しようと様々な準備に動いた。放射能の影響がどのように移行するか予測した。野菜の汚染、水の汚染に対応するため、水をたくさんためておけるタンクを買って、水道水をためておいたり、野菜をある程度たくさん買って保存食的にしたり、風呂に水を溜めたり、地震が今後また起こって、息子が生き別れになっても身元が分かったり本人を励ませるようなお守りを作ったりなど。何をやっても、まだやりたりない気がして次の行動について考え続ける。
放射能への不安から二度に渡って西に移動した。一度目は3月15日くらいからだったと思う。友人から、子どもは非常に放射能に弱いから、パニックになる前に旅行に行くくらいの気持ちでもいいから西に退避した方がよいのではないか?というメールをもらって、募って来た不安が爆発したように荷物を詰め、その日中に退避しようと決意。まわりの人々もそのように行動しているように見えてくるから不思議だ。京都に着いて、しばらくは不安の衝動がずっと続いていた。が、京都の親戚があまりにも普通な日々を過ごしているのに感染してやっと少しずつ気持ちが緩んでリラックスした。それでやっと冷静に考えられる心の余裕を持てるようになった。
息子の卒園式を挟んで二度の退避を経て3月末には藤野に戻る。息子の小学校入学に集中することでしばらく平穏な日々を過ごす。そのことで、現実に起こってしまったことについていろいろ考える余裕ができた。
2011年3月29日火曜日
不穏の手応え
大地震の当日、私は息子の保育園にいた。だから、息子とともに自宅に帰って来た。実験ユニットの打ち合わせで自宅にいた、KさんTさんNさんと再会。そのまま停電になった。停電は朝まで続いた。
このことが私にとってかなり大きかったかもしれない。震災そのものが私たちと強く結びついている感覚が深くなっていった。
停電なのでテレビも見れないし、情報が入って来ない。時間の経過に従ってどんどん部屋は真っ暗になる。みんなも電車が止まって帰れないからみんなでろうそくの明かりの中で闇鍋状態の鍋を食べた。みんな、急に黙り込んだり、やたらに喋ったり、なんとなく普通じゃない気分になっていった。
私は、その夜生まれて初めてとても大きな「不穏な空気」というものを感じた。状況は分からないはずなのに、原発についてのとても悪い予感があった。身体的に腰の背骨のあたりが寒い。胸のあたりが極端に凹む。取り返しのつかない大変なことが起きている、という不穏な空気。
そのあとの情報によって感情が様々に揺れ動かされたけれど、あのときの不穏さが妙にクッキリと何かの確信のように手の中にあって、結局は情報以上に強く私自身に語りかける。何かの判断を迫られているのだろうか?
このことが私にとってかなり大きかったかもしれない。震災そのものが私たちと強く結びついている感覚が深くなっていった。
停電なのでテレビも見れないし、情報が入って来ない。時間の経過に従ってどんどん部屋は真っ暗になる。みんなも電車が止まって帰れないからみんなでろうそくの明かりの中で闇鍋状態の鍋を食べた。みんな、急に黙り込んだり、やたらに喋ったり、なんとなく普通じゃない気分になっていった。
私は、その夜生まれて初めてとても大きな「不穏な空気」というものを感じた。状況は分からないはずなのに、原発についてのとても悪い予感があった。身体的に腰の背骨のあたりが寒い。胸のあたりが極端に凹む。取り返しのつかない大変なことが起きている、という不穏な空気。
そのあとの情報によって感情が様々に揺れ動かされたけれど、あのときの不穏さが妙にクッキリと何かの確信のように手の中にあって、結局は情報以上に強く私自身に語りかける。何かの判断を迫られているのだろうか?
2011年3月22日火曜日
世界にとっての変革期として
今回の大地震における、原発の恐怖を受けて、私たちは本当に様々なものごとについて自力で考えたり関わったりする事を怠っていた、と痛感しています。情報や経済やエネルギー、引いては芸能、芸術に関して、ある依存の前提を形成してきた権力のシステムを疑うチャンスだし、自治的な方法を模索する、つまり別の可能性を模索するモチベーションを取り戻すチャンスだと思う。
どこか、ひとつの前提に依拠ぜず、様々な情報を、様々な角度から見て感じて議論できるような状況をつくることが大切だと思った。
原発で働いていた方の記事
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html
原子力資料情報室
http://www.ustream.tv/recorded/13472627
アーティストが(という定義も微妙だが)できることは、とにかく深く感じて反応できるということだ。作品という形でなくてもいい。メッセージを発信するのではなく、内省的な反応をアウトプットすることがより重要だと思う。
どこか、ひとつの前提に依拠ぜず、様々な情報を、様々な角度から見て感じて議論できるような状況をつくることが大切だと思った。
原発で働いていた方の記事
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html
原子力資料情報室
http://www.ustream.tv/recorded/13472627
アーティストが(という定義も微妙だが)できることは、とにかく深く感じて反応できるということだ。作品という形でなくてもいい。メッセージを発信するのではなく、内省的な反応をアウトプットすることがより重要だと思う。
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