2011年3月29日火曜日

不穏の手応え

大地震の当日、私は息子の保育園にいた。だから、息子とともに自宅に帰って来た。実験ユニットの打ち合わせで自宅にいた、KさんTさんNさんと再会。そのまま停電になった。停電は朝まで続いた。

このことが私にとってかなり大きかったかもしれない。震災そのものが私たちと強く結びついている感覚が深くなっていった。

停電なのでテレビも見れないし、情報が入って来ない。時間の経過に従ってどんどん部屋は真っ暗になる。みんなも電車が止まって帰れないからみんなでろうそくの明かりの中で闇鍋状態の鍋を食べた。みんな、急に黙り込んだり、やたらに喋ったり、なんとなく普通じゃない気分になっていった。

私は、その夜生まれて初めてとても大きな「不穏な空気」というものを感じた。状況は分からないはずなのに、原発についてのとても悪い予感があった。身体的に腰の背骨のあたりが寒い。胸のあたりが極端に凹む。取り返しのつかない大変なことが起きている、という不穏な空気。

そのあとの情報によって感情が様々に揺れ動かされたけれど、あのときの不穏さが妙にクッキリと何かの確信のように手の中にあって、結局は情報以上に強く私自身に語りかける。何かの判断を迫られているのだろうか?

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