今回の大地震における、原発の恐怖を受けて、私たちは本当に様々なものごとについて自力で考えたり関わったりする事を怠っていた、と痛感しています。情報や経済やエネルギー、引いては芸能、芸術に関して、ある依存の前提を形成してきた権力のシステムを疑うチャンスだし、自治的な方法を模索する、つまり別の可能性を模索するモチベーションを取り戻すチャンスだと思う。
どこか、ひとつの前提に依拠ぜず、様々な情報を、様々な角度から見て感じて議論できるような状況をつくることが大切だと思った。
原発で働いていた方の記事
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html
原子力資料情報室
http://www.ustream.tv/recorded/13472627
アーティストが(という定義も微妙だが)できることは、とにかく深く感じて反応できるということだ。作品という形でなくてもいい。メッセージを発信するのではなく、内省的な反応をアウトプットすることがより重要だと思う。
2011年3月22日火曜日
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