なにが嫌なのかな?というと、コントロールされることが嫌。
たくさんの人がコントロールされていると感じることが嫌。
コントロールする仕組みが稼働して、自動運転になってそれが回り続けるのを見ることが嫌。
人の技術革新していく方向性というものがあって、例えば妊娠中の子供の状態を見て産むかどうかを決めることに対して、それを望む人、望まない人がいる。アメリカの精子バンクのドキュメンタリーを見た時、提供者の目の色、髪の色、肌の色、学歴、IQなどのファイルがあってその中から選ぶという状況があるのを知った。そういうようなことを望む人と、望まない人がいる。クローンの技術が進む。遺伝子組み換え技術が進む。ナノテクノロジーが進む。AI技術が進む。いろいろなものごとを組み合わせて、人の生命、生き方、能力、容姿、寿命、健康、様々な組み合わせを駆使してデザインしたいという人がいる一方それを望まない人もいて、なにを求めるかによって人はまたこの先も分断をし続けることだろう。人の感覚はそれぞれだが、それらがもたらす結果の中にどうやって多様な感覚を抑圧せずに共に生きる方法を見つけることができるだろうか?
私は、生命にたいしてのコントロールがこれ以上エスカレートすることをどうしても生理的に受け入れることができない。いわゆる宗教というものを持っていない私でも、生と死の神聖さを冒涜したくないし、されたくない。
こういった、ストレートな文章しかかけない、この方法ではなんの役割も果たせないとわかってはいるのだが、なんとか、言葉をエネルギーに変えていけるような方法、自分を驚かせるような方法を見つけたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿