人は孤立することを恐れるものだ。そして、SNSは、何かに対して疑問を抱く人を繋げるのではなくむしろ孤立させるために非常に良く機能しているように見える。最近、「マインドハッキング」という本と出会い、SNS上で個々人のデータを勝手に分析して人格を見定め、必要なターゲットになにかしらの行動を起こさせるという、軍事下請け会社の内部告発を読んだ。AIなどをうまく使ってそういうことを行っているのだ。それで、私が感じてきたSNSへの違和感がなんとなく理解できた。おそらく、なんらかの疑問を抱く人を孤立させ、また孤立したくないという心理がより疑問から遠ざける効果を作り出せる。そうすれば、疑問をもったり調べたりすること自体に心理的なブレーキがかかる。また、世論の中で、よりSNSが信じさせたい物事へ感情移入すればするほど、SNSの中で居心地が良くなる。この面だけみれば、一方向的なテレビよりもプロパガンダの効果はより強く、人々はより早く洗脳されていく。そして専門家が、専門的でないということで人々を、自分で考えることには非常に不備がある、というように思い込ませる。このままいけば、人々はワクチンの強制摂取を望み、しない人が構造的に差別されたり、孤立して仕事や行動自体が極度に制限されることを許容する世界に移行してしまうだろう。
何かに対して疑問を抱く人がつながり、あるいは、違う考え方の人が別の視点から一つの物事をみることで得られる、普通の人の知的活動、行動が小さな水溜りのようにどこかに残っていることを心から願う。
とはいえ、私はいつでも世論からかなり違う感覚と思考を持って生きてきた。孤立感にはある程度慣れている。それが、私の役割なのだろう。ただ、それが役割として機能していない時はとても苦しい。ただの孤立となってしまうからだ。一つのところに視点を固定させずに、あるいは、一つの感情的軋轢に固執せず、そこから離れて見てみよう。視点が動いている状況、意識が少しだけ浮遊している状況、息子のいう「ゆらゆら」が必要なのだ。そして、いつも創造的な突破口を探し続けることができる。可能性はどんな状況でも(どこにもないように思えるときでさえ)無限にあるものだ。それを信じることができる。知恵が必要だ。
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