2020年5月16日土曜日

思考の整理 一点集中の視点と死角 2020年5月15日

思考の整理 一点集中の視点と死角

ベルリンに暮らし始めてから、ひとつ、なんとなく思っていることがあって、欧米を中心としてひとつのスタンダードな考え方や問題意識というのがあって、一つのトピックをSNSで大量に拡散して、その時々のその中心のトピックを共有する強度が、ヨーロッパの中でとても強いように感じる。たとえば「ミートゥー運動」や「温暖化問題」など、その時々であまりにもたくさんの人が、同じ一つの視点からの問題意識で湧くことによって、そこにたくさんの「死角」が生まれ、かえって、その間に起きてる他のことに意識が向きづらくなったり、あるいはその問題における別の角度からの見方が全くできなくなったり、そういう感じがする。それは、その問題意識を持つことが一つのステータスとして機能してしまっていることと関係している気がする。もちろん、そうすることで、今まで問題として軽く扱われていたことが、きちんと取り上げられる機会としてはとても良いと思うけれど、一方、その死角の中に、意識を向けるべきことを見逃してしまうことで、後になってとても怖い状況が生まれてしまうこともやっぱりありえると思う。今は、世界中が「コロナ」のことに意識を向け、それこそ視点が一点に集中してしまう。こういうときに、各国の法律が変えられていて、それが表面上は大したことがなさそうでも、実際に施行された後で、とても怖い状況になる可能性のあることを見逃してしまうかもしれない。みんなが、一点に意識を向けているときこそ、別の視点から物事を見ることはとても大切だと感じる。

視点を動かすためのインストラクションの作品について考えたい。

街の観察
ベルリンの街は、コロナの蔓延を防ぐために様々な規制が引かれていた間、多様な人の姿が街から消えていった。例えば、物乞いをするロマの人たち(だと思う。もしかしたら違うか?あるコミュニティーの人たち)、音楽をやって駅などでドネーションをもらっている人たち、薬の売買をしているらしき人たち、年中よっぱらっている人たちの集い(これはなんだかとても微笑ましい。実際にはいろいろあるのかもしれないけど、各駅や道端で、馴染みのコミュニティーみたいなのがあるっぽい)、意味のわからないことを急に話しかけるような人、新聞みたいなものを電車の中で売る人。この中の何種類かの人たちはぼちぼち戻ってきた。ちょっとホッとする。

美容院、理容店、ネールサロン、カフェ、レストラン、それぞれがオープンし始めた。街の息吹が戻ってくるような感じ。街が、生き物みたいな呼吸を取り戻しつつある。

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