人にとって、頼りになる規範というのは、経験だけでは足りないのだろうか?個人の経験だけでは足りないのだ。コミュニティーとしての経験を積み重ねなければならない。そうでなければ、不安から解放されるのは難しいのだ。
どんどん変わって行く環境。どんどん変わって行く倫理観、どんどん変わって行く政治情勢。
さまざまな卓越した手口で、どうどうと人の思想的な枠組みに入り込むべく狙っている、政治的倫理思想の代弁者達。ファシズムの方向に進む真面目な規範を標榜する人々。そういうことが入り込んでしまっているコミュニティーの中で、どうやって波長をあわせることができるのだろう?あるいは、異物としてふわりと浮くことができるか?旅立っている人として受け止められる方向での、やわらかい存在の仕方、俯瞰した評価基準を感知できないように自分の中を感じていることでいっぱいいっぱいにしておく。歌う。描く。踊る。そうか、そういったことは、ありのままの自分でい続けながら、かつ個人という線引きにとらわれずに媒介者として浮いていられる。そういう存在なのかもしれない。きりんのように。
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