2012年1月25日水曜日

暴力はメディアか?

中間発表を終えて、何人かのひとに、「暴力はメディアだと思う」というメッセージをもらった。
反応というのは「なってしまう」人の状態で、だから暴力はれっきとした一つの反応だ。望まずに暴力を振るってしまうという自分の反応に、なす術もなく苦しむ人もたくさんいるのだろうと思う。しかしそこには、別の反応にシフトする可能性が全く無いのだろうか?

暴力はメディアとなって次の暴力を呼ぶ、あるいは、主体もなく人を媒体として連鎖し続ける、または、暴力によって世界にメッセージを突きつけるかもしれない。そうだとしたら確かにひとつのメディアなのだ。暴力とは何か?もう一度考えようと思う。何度問いを重ねても掴み切れない言葉の数々に、何度でも観察を重ねてたちもどる。
見た目は暴力に見える何かが、実質的に別の何かを映し出すメディアであることもある。逆に親切に見える何かが実質的に暴力そのものであることもある。けれど実質が何かなんて誰に決められるだろう!

自分の反応に反応するとき、次元を超えて自分を生かし、人を生かすメディアになることができるか。それが、どんなにきつい経験であったとしても。

0 件のコメント:

コメントを投稿