私は特定の土地に住んでいるということを、自分の中であまり大きく考えないで生きて来た。
けれども、本当に遠い土地に住むことになった時に、人と土地の関係は簡単でないということを思い知らされる。
それは、特別にトラブルがあるとか、ないとか、そういう具体的なことではなく、何か、自分という存在のありようが、しっくりくるかこないか、そいう曖昧な何かだ。
横浜に生まれて、関東のいろいろなところに引っ越しして住んだけれど、自分の存在ということについて不安を感じさせるような何かというのはほとんどなかった。けれども、九州の熊本という本当に、遠い土地で、知人が突然ほとんどいないような状況の中に身を置くと、自分の存在がほんとうに良くわからなくなって、心もとない。どれだけ時間をかけても、この土地の中で自分は外側でありつづけるだろうと感じる。しかし、それでも時間が経って、外側のポジションで生きるということに慣れて行けば、そういう中での自分のありようがしっくりくるということもあるかもしれない。
どんなところにいても、自分はいつもなんらかの意味で外側にいる感じだったし、それが結果的には良かったのだ。
自分のありようがしっくりくれば、力が湧いてくる。それで力が発揮できる。調子が上ったり下がったりする不安定さとは一線を画した、「しっくり」をどうやって手に入れるか、そこにかかっている。
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