実験をへて。
手塚さんと一緒に探っていた「祈る」という行為には希望を見出している。静かな祈りだと目の前の大きな現実に押しつぶされてしまう。もっとこう、どっしりとした祈りじゃないと無理だ。実験をへて、民俗芸能のもつ「祈り」の役割とそれを受け継いできた「体」を考え始めた。
私は家が田んぼを作っている兼業農家で自身は会社員の、この辺では珍しくないごくありふれた市民。私が何かをやろうとする前提はいつもこんな自分。それ以上でもそれ以下でもない。なので、私の言葉はこの立場以上のものは
手塚さんと一緒に探っていた「祈る」という行為には希望を見出している。静かな祈りだと目の前の大きな現実に押しつぶされてしまう。もっとこう、どっしりとした祈りじゃないと無理だ。実験をへて、民俗芸能のもつ「祈り」の役割とそれを受け継いできた「体」を考え始めた。
私は家が田んぼを作っている兼業農家で自身は会社員の、この辺では珍しくないごくありふれた市民。私が何かをやろうとする前提はいつもこんな自分。それ以上でもそれ以下でもない。なので、私の言葉はこの立場以上のものは
出ないことをまず始めに。
自分にとって近美での実験はパフォーマンスでも舞台でもなく、ただ目の前に立ちはだかる過酷な問題にどう向き合うかを考える実験で、それ以上でも以下でもなかった。が、一方で近美という場所で行なうということはパフォーマーとなることであり舞台を作るということでもあったようだ。その認識が欠如していたと言われればそれまでだし受け入れるしかない。しかも準備不足だった。練り込み不足だったことは否めない。多くの人に叱られた。お叱りはごもっとも!
私はアーティストでもパフォーマーでもない。そんなものになるつもりはないし、なれるとも思っていない。意識的に舞台を作ったこともないし表現行為をしたこともない。もし私がパフォーマーになれるのだとしたら、それは100年前と100年後に生きる、この風景をつくってきた人々とこの風景を受け取る人々に対してのみだと思っている。
そんなわけなので想像しかできないのだが、もし自分がパフォーマーで実験をするとしたら、わざわざこんな問題は選ばないのだろうな。でも自分にとっての目の前に迫った過酷な問題がこれならば、それ以外の問題を選択することは意味がない。そしてこの問題、向き合ってもいないし客観視もできない、ただひたすら削除と忘却の対象でしかないこの問題を選ばざるを得ない私が、今の時点で納得のできる実験などできるはずがない。
どうやったら向き合えるのかな。どうしたら完成度の高い実験をすることができたかな。本当は教えて欲しいくらい。でもおそらく両者は共存しないものなのだろうという感想も持っていたりもする。
手塚さんとの準備期間もふくめて今回の実験は意味を持った。手塚さんとは準備をする過程でたくさん話をした。一連の時間は「祈り」を考えるにおいて、つまり私がここで生きていくということにおいてある意味転換点にもなりそう。
この実験のことはゆっくり考えたい。少しずつ文章にしていって、時間のあるときにブログにでもUPしようかなぁと思います。ということで、加筆修正なう、です。
自分にとって近美での実験はパフォーマンスでも舞台でもなく、ただ目の前に立ちはだかる過酷な問題にどう向き合うかを考える実験で、それ以上でも以下でもなかった。が、一方で近美という場所で行なうということはパフォーマーとなることであり舞台を作るということでもあったようだ。その認識が欠如していたと言われればそれまでだし受け入れるしかない。しかも準備不足だった。練り込み不足だったことは否めない。多くの人に叱られた。お叱りはごもっとも!
私はアーティストでもパフォーマーでもない。そんなものになるつもりはないし、なれるとも思っていない。意識的に舞台を作ったこともないし表現行為をしたこともない。もし私がパフォーマーになれるのだとしたら、それは100年前と100年後に生きる、この風景をつくってきた人々とこの風景を受け取る人々に対してのみだと思っている。
そんなわけなので想像しかできないのだが、もし自分がパフォーマーで実験をするとしたら、わざわざこんな問題は選ばないのだろうな。でも自分にとっての目の前に迫った過酷な問題がこれならば、それ以外の問題を選択することは意味がない。そしてこの問題、向き合ってもいないし客観視もできない、ただひたすら削除と忘却の対象でしかないこの問題を選ばざるを得ない私が、今の時点で納得のできる実験などできるはずがない。
どうやったら向き合えるのかな。どうしたら完成度の高い実験をすることができたかな。本当は教えて欲しいくらい。でもおそらく両者は共存しないものなのだろうという感想も持っていたりもする。
手塚さんとの準備期間もふくめて今回の実験は意味を持った。手塚さんとは準備をする過程でたくさん話をした。一連の時間は「祈り」を考えるにおいて、つまり私がここで生きていくということにおいてある意味転換点にもなりそう。
この実験のことはゆっくり考えたい。少しずつ文章にしていって、時間のあるときにブログにでもUPしようかなぁと思います。ということで、加筆修正なう、です。
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