〜kenkaizuさんからのツイートを抜粋させていただきました。
ありがとうございました。〜
手塚夏子さんの回に行ってきました。最近民俗芸能を気にしているという手塚さん、民俗芸能の孕んでいる<身体性・精神性・社会性>を大きな意味でとらえ直す試みだったと思います。ただその民俗芸能の<形>を派生させ伝えて来た、人々の暮らしそのものが現代的な、コンテンポラリーな社会の動きによって変わりつつある時に、その寄り添いやすい<形>を捨てて、寄る辺ない現状から何かを考え始めるというのは、もどかしくも意味のある実験だったと思います。そしてまた、美術館という場所とそこに集まる人々が、今起きているコンテンポラリーな現実に対していかに微力かということも、考えさせられました。そこから何が生まれるのか。
昨日の近代美術館 「14の夕べ」手塚夏子さんの実験の中で、子供を王さまにした架空の国を作ってみよう、というのがあった。観客の多くは”国づくり”に消極的で傍観しているのも「日本人的だなあ〜」と思いながら、そこには何か”切実さ”が欠けているのだと感じた。それは、その「国づくり」に参加しなくても観客自身の生活、生命に直接関係ないからだが、各地に伝わるまつりや芸能も、それ自体何かの生産物を生み出すものではない。でもそこに地域の人々を「参加しなければ」と感じさせるモノは何なんだろう?と考えた。
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