2011年5月10日火曜日

individual ←→dividual

自分という感覚について
個人という単位によって成り立っている世界に移行した時に
何が起きたか?
もう一度考えている。

「無限に分けられる部分としての自分」



「歯車として何かの体(たい)の一部でしかない自分」

の違いについて考え直す。

2011年4月29日金曜日

誰かのことを考える範囲

ずっと気が立っている。
時々寒気のような孤独感が襲う。

自分が誰かのことを考えられる範囲の狭さについて思い当たる。そういうのはコミュニティーの中で育まれるものなのだろう。そういった、お互いに誰かのことを考えるコミュニティーの中で育つということは都市的な場では稀なのかもしれない。何かの事情で人々は切り離され、管理との関係だけで生きなければならなくなってきた。その息苦しさが、よけいに他者に対して無関心になっていく。今はそれを取り戻そうとしている。大変なことが起きるとき、それを取り戻そうとする力がよみがえるのかもしれない。そういう意味では、何かが変わって行くのかもしれない。管理に依存しない関係において何かを取り戻したい。

ただ、マスメディアは相変わらず人々をコントロールしようとしているように思える。慈善を装った管理が強められるのが怖い。
人々がマスメディアから離れる方法はないのだろうか?

自分の中の何かが萎縮し、同時に何かが目覚め始めている。
麻痺させていたどこかの部分が目覚めて、いやでも過敏になって不安や絶望感を伴う。
と同時に何をするべきかということについて潜在的な部分が動き出そうとしているようにも感じる。

2011年4月25日月曜日

隠蔽の時代到来

様々なレベルで隠蔽が強められる。
隠蔽が強まると、そこには必ず暴力がある。

隠蔽が暴力の生みの親なのかもしれない。

例えば不安の隠蔽。
気持ちの中に不安があってもそれを隠蔽する。
それが複数の人々の中で暗黙の了解となる時、隠蔽した不安の火はどこに行くだろう?
それは決してなくなりはしない。深く深く潜って行く。そしてどこに行くのだろう。
八つ当たりの小さな連鎖を巡り巡って弱いものの上に降り注がれる理不尽な「叱咤」となるだろう。
そうやって今までも繰り返されて来た八つ当たりの連鎖によって、人々の間に見えない圧がかかっていく。
ますます息がしづらくなる。

我慢や元気や連帯を強いる空気が、不安を隠蔽する。かの戦争の時のように。
もっとも信頼できる人に不安を吐露して、あとでそれと距離を置く方が、長い目で見て健康でいられるように感じる。
だから空気圧ではなく、しばし身の内に耳を澄まして静かにしている方が良いのかもしれない。
そしてできるだけ信頼できる人の側に居よう。

2011年4月21日木曜日

「平和」など一度も無かった

戦後や、60年代の様々な動きのあと、平和な日々が続いていると思い込んでいたような感じがある。でも何か嘘くささというのが常にあった。それは学校の教室の中で、先生の様子の中で、あるいはテレビや、街の楽しげな様子の中に感じていた。もう少し意識的に見れば、平和等どこにもなかったことが分かるはずなのに、本当に何も見えていなかったのはなぜだろう?近代化という状況が世界全体に暴力的とも思われる速度で満たして行ったときからすでに、国家というシステムが暴力的な強さを競い脅し合う関係であり続けたし、弱いと判断すれば奪い続ける、そういう世界になっていった。

もともとそれが人間の性質なのかどうか?自分が暴力的にならないためには、自分が暴力を甘んじて受けるしかないのだろうか?自分から固持を放棄することで世界が変化する一端となるのだろうか?ガンジーのやり方というのはもう一度勉強しておく価値があるかもしれない。

核実験一覧表
http://ja.wikipedia.org/wiki/核実験の一覧

癌の発祥推移
http://www.menekiplaza.com/siryou/suii.html


いかに戦後(米ソ冷戦の最中)、
原発が平和利用の名の下に
日本に導入されてきたか、その歴史。

●原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~NHK_1
http://www.youtube.com/watch?v=k0uVnFpGEms

●原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~NHK_2
http://www.youtube.com/watch?v=C5gA18Q5UZ0&feature=related

●原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~NHK_3
http://www.youtube.com/watch?v=rQuvSIvu6gk&feature=related


アメリカと日本の関係推移
http://blog.goo.ne.jp/kohay/e/38e3bffbbb58adf6be8724aca4e32471

ガンジー ウィキ
http://ja.wikipedia.org/wiki/マハトマ・ガンディー

2011年4月15日金曜日

不安の合間 SF 過去が試される

不安の合間、つかの間の幸福。
不思議にそれらはクッキリとしていて、フィルムに刻まれたような感覚に襲われる。

卒園祝の望遠鏡で、初めて見た月の白いお盆のようなでこぼこ、入学準備のための手縫い、学校へ初日の息子の浮かれ姿、つかのまの帰省と旅先の観光。


アニメのSF映画DVDを最近よく借りて見る。テレビの情報だけを見ることに耐えられなくなったり、それでDVDを借りにいっても普通のエンターテイメントを見て現実逃避すると余計に悲しくなりそうで、迷った末にSFを見る。それらは、今の状況がすでに未来の範疇に入っていることを告げている。特に宮崎アニメを見ると、様々な予言と思えるような側面があり、もはやファンタジーとしてではなく、かなりリアリティーのある示唆に富んでいる部分がクローズアップされてくる。それで、すごく興奮する。萩尾望都の漫画も、読み直す時期にきている。すごく興奮する。今は、かつてのファンタジーであったSFが、どのくらいリアリティーがあったか、それが試されると感じる。

現代作家の作品も、演劇につけダンスにつけ音楽や美術につけその他のあらゆるものについて、過去の作品が今の現実と呼応するかどうか、どれだけ現実に感覚を開いていたものかどうか?問われるだろう。それらは、徐々にクッキリと浮かび上がってくるだろう。

2011年4月14日木曜日

様々な可能性

被災地の民俗芸能の力
http://www.asahi.com/national/update/0326/TKY201103260142.html
思いもよらないところに可能性というのはある。細かいところに思いもよらない豊かさがひっそりとあって、いつも呼吸している。
この2年くらい、様々な民俗芸能を見て歩いていて本当にそう思う。

低周波を出さない風力発電
http://www.mecaro.jp/

放射能の土壌の再生
http://ameblo.jp/dragonart/entry-10839848725.html

バイオディーゼル
http://journeytoforever.org/jp/biodiesel_make.html

ダイエット商品と発電機は相性が良いのではないだろうか?
手回しのラジオを試してみて思った。
車によるたくさんの運動不足を、発電式ルームランナーで発電、その分を歩けばどこかに着くかもだけど…。

不安の観察−5

放射能の被害が実際に現実に目に見える形であらわれていくまでの時間はどのくらいだろう。
3年後、5年後、10年後あたりに、浮上するだろうか。
少しずつ、少しずつ、病気が増えて初めて人は何が起きたのかを知るだろう。
非常に長期に渡って裁判が開かれる。裁判に勝つのは至難の業だ。いまのところ、放射能と癌を直接結びつける証拠などない。そういった現実世界をどのように生きるか?できるかぎり想定して、受け止めつつ、自分を見失わずに乗り越えて生きる心の準備をするなら、悪いことについて想定するのは決して悪くない。それらを見据え、私たちはあらゆる可能性にいての試行錯誤に心を開いていかなければならない。

今、何を選択して食べたら安全か分からない。水も野菜も牛乳や肉も、食物連鎖の中で放射能は濃縮されるし、遺伝子の深いところを傷つけるから何世代にも渡って被害が出る。でも、予言めいたことをいっても、実際の世界に現れないと人は認識できないものだ。それなら予測するだけ自分を傷つけるだけになるのかもしれない。
でも、考えてみたら、化学調味料にしても保存料にしても農薬にしても、空気の汚染にしても海の汚染にしても、本当は今に始まった事じゃなくて、ずっと前から本当は、何を食べたらいいのか分からない今と同じ状況だったのだ。たぶん。でも、できるだけ鈍感でいた方がのほほんと生きられるのだし、人はいつかは死ぬのだし、病気の原因は分からないから、そうしていただけなのだ。私自身も結局そうやって生きてきた。でもだから今もそのままでいいじゃん、とは思えないでいる。はっきりとした危機感を肌に感じている。

鎌仲ひとみの「ヒバクシャ」と「六ヶ所村ラプソディー」を見て、現実を一番動かすのはなんといってもお金なのだと実感。その力の大きさを思い知ると絶望的な気分になる。人は動くと思えるときは自分も動くし、動かないと思っているときは自分も動かない。
今起きていることは、動かせる僅かな契機となりうる、今日はそう感じている。