2015年5月2日土曜日
「15年の実験履歴」制作日誌05
日本の古い音楽は「作品」という概念を感じない事が多い。それは、歌やメロディーをだれが最初に歌い始めたか、だれがそのメロディーを奏で始めたか、そういったことが分らないし、それを主張するという発想がなくて、誰かがすぐ真似をしたり伝染してしまったりするのが普通だったからじゃないだろうか?「日本の文化」という線引きもおそらく西洋近代か以降の概念なんじゃないだろうか?「伝統」という線引きも、無意識に引き継いでいる間は出て来ない発想だと思う。いろいろなものは自然に発生したり流れたりその流れがうねったりしていたものなんだと思う。日本に伝わって来た仏教などにも、どこからかその流れを辿って行ったらいろいろなところに支流を見ることができるような、そして源泉をハッキリ見極める事ができないけれど、どこまでも追って行くことができるようなそういう何かを感じる。現代ではどうしても「作品」であったり「作家」であったりという線引きをもってしか芸術と接することができないような気がしてしまっているけれど、自分の深いところを打つ電撃というか啓示みたいなものは芸術という線引きが解けた瞬間の何かと邂逅したときにしか得ることができないような気がしてしまう。
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