2015年5月8日金曜日
制作日誌07 「監視」と「観察」
ゴールデンウィークのメインイベントとして家族で自転車旅行してきた。リュックに食料や寝袋や山用のコンロや着替えやらを詰めて山のような背中で自転車に乗って40キロあまりの距離を峠2つ半くらい越えた。体で自分の限界を知ったり、だめだと思っても大丈夫な体力って結構残ってたり、自分で持った分だけが使えるという感覚を知ったり、自分の力でやる分だけ自由だったり。拮抗する力を少しだけ強く出来たような感覚があって壮快。「達成感」とかそういうのじゃなくて、その時々の実感を生きている時間が豊かだなと感じる。自分ってこの程度っていうのは悪い意味じゃなく、人間の力は限られてることをちゃんと身を以て感じつつ、その中で最大限力を発揮できるかどうかは自分の内発性にかかってるように思う。帰って来てその日のうちにワークショップの最終回だったのでハードだったけど、受講してくれたみなさんがすごく内発的欲求高くて揺さぶられた。行く前より元気になったくらいだった。そこで重要なことが浮き彫りになった。内発的な状態は「観察」をすることによって健康的に保たれる。「観察」の視点なしに行うのは危険。また、現代では常に自分にも人に対しても「監視」の視線を投げてしまうけれど、「監視」の状態も「観察」することが可能。しかし「監視」の視点からは「観察」は見ることができない。だから常に「観察」の方に自分の主体を感じている事が重要なのかもしれない。
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