「メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会」ノーム・チョムスキー
注)これを書かれたのは1991年のようです。現状はもちろん変化していると思われます。
p23 広報(Public Relations)
広報(PR)産業を開拓したのはアメリカである。
業界の指導者たちも認めるように、その目的は「大衆の考えを操作する」ことだった。彼らはクリール委員会の成功や、「赤狩り」とそれにつづく世論形成の成功に多くを学んだ。
広報産業は巨大になり、1920年代には大衆が企業の原則にほぼ全面的に従うまでになった。その成功があまりにもみごとだったので、1930年代に入る頃には、連邦議会の委員会がこの業界を調査しはじめたほどだ。このときの調査によって、私たちは広報産業に関して多くのことを知るに至った。
広報は、いまや年間10億ドル近くが注ぎ込まれる一大産業となっている。そして、その目的は一貫して「大衆の考えを操作する」ことだった。だが1930年代に、第一次世界大戦時に生じたのと同様の大問題が発生する。大恐慌が怒って、堅固な労働者組織ができたのである。労働者は1935年に初めて合法的な勝利まで勝ちとった。労働者の団結権と団体交渉権を認めるワグナー法、いわゆる「1935年全国労働関係法」の制定によって、とまどえる群が団結する権利を手にしたのである。
中略
大衆の組織化などあってはならないことだ。大衆が組織されれば、行動の傍観者にとどまらなくなる恐れがある。かぎられた資源しか持たない人びとが大勢集まって団結し、政治に参入できるようになったなら、彼らは観客ではなく、参加者になってしまうかもしれないのだ。それはまぎれもない脅威である。二度と労働者が合法的勝利を得ることがないように、民主主義社会を危うくする大衆の組織化がこれ以上進まないように企業側は対策を講じた。その目論見は当たった。労働者はそのあと二度と合法的な勝利を得られなかった。
中略
これは偶然ではない。何しろ相手は財界である。こうした問題を処理するのにいくらでも金と労力をかけられる。知恵もある。広報産業を利用し全米製造者協会やビジネス円卓会議などの組織に働きかけることもできるのだ。
中略
そして1937年に、最初の試みがなされた。ペンシルヴァニア州西武のジョンズタウンで大規模な鉄鋼ストライキが起こったときのことである。企業が労働者を制圧する新しい手法を試したところ、それがことのほかうまくいった。(中略)スト参加者への反感を世間に広めスト参加者は世間にとって有害な、公益に反する破壊分子だと思わせるのが狙いだった。
公益とは、ビジネスマンも労働者も主婦もすべての人間を含む「私たち」全員の利益である。私たちは団結して調和をはかり、アメリカニズムの名のもと、一緒になって働きたい。それなのに、ストの参加者のような破壊分子が問題を引き起こし、調和を見出し、アメリカニズムを侵害している。
中略
必要なのは、誰も反対しようとしないスローガン、だれもが賛成するスローガンなのだ。それが何を意味しているのか、誰も知らない。
中略
彼らをつねに怯えさせておくことも必要だ。自分たちを破壊しにやってくる内外のさまざまな悪魔を適度に恐れ怯えていないと、彼らは自分の頭で考えはじめてしまうかもしれない。それはたいへん危険なことだ。そもそも彼らには考える頭などないのだ。したがって、彼らの関心をそらし、彼らを社会の動きから切り離しておくことが重要である。
p33 世論工作
1954年、バーネイズがユナイテッド・フリーツカンパニーのために広報作戦を展開すると、それに乗じてアメリカはグアテマラに進出し、資本主義を報じる民主的な政府を転覆させ、凶悪な暗殺者集団が牛耳る社会を出現させた。
その体制は今日まで続いており、ずっとアメリカから支援されている。もちろん、アメリカの目的はグアテマラが空虚なかたちで民主的な変更をしないようにすることだった。国民が反対する国内政策を実施するには、ゴリ押しをつづけるしかない。だが、国民にしてみれば、自分にとって有害な構内政策を支持するいわれはない。
この場合も、大々的な宣伝が必要になる。そういう例はこの10年のあいだにいくつもあった。たとえば、レーガン政権の数々の計画は圧倒的に不人気だった。1984年の「レーガン圧勝」時にも、有権者のおよそ5分の3はレーガンの政策が法制化されないことを願っていた。軍備の増強にしろ社会的支出の削減にしろ、レーガンの計画はことごとく国民の強い反対にあった。
しかし、国民が社会の周辺においやられ、自分の本当の関心から目をそらされて組織をつくることも自分の意見を表明することも許されず、他人の同じ考えをもっていることを知るすべさえなかったら、軍事支出よりも社会支出のほうが大事だと考え、世論調査にはそのように答える人々も、そんなばかげた考えをもっているのは自分だけだろうと思い込んでしまう。現実に、圧倒的多数がそう思い込んだのだ。
そういう意見はどこからも聞こえてこない。誰もそういう風にはかんがえていないのだろう。したがって、そういうことを考え、そういうことを世論調査で答えようとする自分あhきっと変人にちがいない。意見を同じくする人、その意見に自信をもたせてくれる人、その意見を表明させてくれる人と知り合って団結する機会はどこにもないので、自分が変わり者のような、ひねくれ者のような気がしてしまう。
p45 敵の量産
医療、教育、ホームレス、失業、犯罪、犯罪人口の激増、投獄率、スラム地区の治安の悪化など、これら数々の深刻な問題に、真摯な対策は何一つ講じられていない。こうした状況は誰でもしっているのだが状況は悪くなる一方だ。
中略
こうした状況にあっては、とまどえる群の注意をなんとかして別のところへ反らす必要がある。彼らがこれに気づき始めれば、不満が噴出するかもしれない。これによって苦しむのは彼ら自信だからだ。
中略
いつでお都合よくつくり出せる怪物は、かつてロシア人だった。ロシア人なら、つねに自分らを守る必要のある敵に仕立てることができた。ところが昨今、ロシア人は敵としての魅力を失いつつある。ロシア人を利用するのは日を追って難しくなっている。そこで、何か新しい怪物を呼びださなければならなくなった。
中略
そこで、国際テロリストや麻薬密売組織、アラブの狂信者、新手のヒトラーたるサダム・フセインなどに、世界征服に乗り出させることになった。そうした輩を次から次へと出現させなければならないのである。国民を怯えさせ、恐怖におとしいれ、臆病にさせて、怖くて旅行もできない、家にじっととぢこまっているしかない状態にさせる。(中略)
架空の怪物を仕立て上げては、それをたたきつぶしに出向いていく。
p49 認識の偏り
恐ろしい敵をでっちあげることが長きにわたってつづいてきた。その例をいくつか紹介しておこう。
1986年5月に、獄中から解放されたキューバの政治犯、アルマンド・バヤダレスの回想録が出版された。メディアはさっそくこれに飛びつき、盛んに書き立てた。メディアはバヤダレスによる暴露を「カストロが政敵を処罰し、抹殺するために巨大な拷問・投獄システムを用いていることの決定的な証拠」と表した。
この本は「非人間的な牢獄」や血も涙もない拷問についての「心を騒がせる忘れがたい記述」であり、また新たに登場した今世紀の大量殺人者の一人のもとで行われた国家暴力の記録である。
この殺人者は、少なくともバヤダレスの本によれば、「拷問を社会統制の手段として正当化する新しい独裁政治を構築している」のであり「[バヤダレス]がくらしていたキューバはまさに地獄だった」。
これが『ワシントン・ポスト』と『ニューヨーク・タイムズ』に掲載された批評である。カストロは「独裁者の暴漢と称された。極悪非道な彼の行為はこの本で完全に暴露されたことでもあり、「よほど軽率で冷酷でもないかぎり、この暴君を用語する欧米の知識人はまず皆無だろう」(ワシントンポスト)とされた。
だが、これはある個人の身に起こったことの記述である。
これがすべて真実だとしよう。バヤダレスは拷問されたと言っているのだから、彼の身に起こったことについて被疑を呈するのはやめよう。ホワイトハウスの人権デー記念式典で、バヤダレスはロナルド・レーガンから名指しされ、血に飢えたキューバの暴君の恐ろしい残虐行為に耐え抜いた勇気を称えられた。
その後、バヤダレスは国連人権委員会のアメリカ代表に任じられ、そこでエルサルバドル政府とニカラグア政府を擁護する意向を述べた。いくら仕事とはいえ、、バヤダレスの被害もささやかに見えるほどの残虐行為を避難されている両政府をどうして擁護できるのだろうと思うがそれが現実なのである。
中略
1986年5月のことだった。なるほど、「合意のでっちあげ」とはこんなところから始まるのかもしれない。同じ5月に、エルサルバドル人権擁護委員会の生き残りメンバー(指導者たちは殺されていた)が逮捕され、拷問された。
そのなかには、委員長のエルベルト・アナヤも含まれていた。彼らはエスペランサ監獄に送られたが、獄中でも人権擁護運動をつづけた。法律家のグループだたので、囚人から先生供述書を取りつづけた。監獄には全部で432名の囚人がいた。彼らが署名した430人分の氏先生供述書には、囚人たちが受けた電気ショックをはじめとする残虐な拷問について詳細に記されている。
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