2021年3月9日火曜日

催眠術を説明する新しいモデル 2021年3月8日

 催眠術についての動画を見た。催眠術を説明する古いモデルは、意識と無意識を氷山の水面下と表面に出ている部分に例えるが、新しいモデルは暗い部屋の中とその中に一箇所だけ当たったスポットライトで説明する。スポットライトをどこに当てるかを決めるのは無意識の領域であり、それも0.5秒〜6秒前に決めているらしい。それを自分で意識的に行っている行為のように錯覚するのがいわゆる「意識」なのだとか。その「意識」は錯覚なのだそうだ。そして、体の一部に意識を向けるような行為は、実際に重要度の高くないところに意識を向けるような行為であり、それを続けていくとスポットライトの光量が下がっていくらしい。私が自分の無意識の領域によって体が動くようなダンスの手法は、このモデルだとわかりやすい説明になるなあと思った。体の一部に意識を集中したことによって、スポットライトの光量が下がるということなのだろう。なかなか面白い。つまり、意識に浅いとか深いとかいうことはない、ということのなのだろうか?まあ、それはどう認識するかによるということかもしれない。

ところで、歴史認識もこれにとてもよく似ている。現在を生きる自分が見える部分はほんの一部にすぎない。自分の部屋、周りの音、家族との会話、パソコンの画面。けれども実際には隣の人がどのような生活をしてるか知らない。下の階の人が何に興味を持っているか知らない。斜向かいに住んでいる人たちが、それぞれ何を信じているか知ら無い。その知ら無いことは、この地域だけをとっても無限に広がっている。それが、ベルリン一体、ドイツ一体、無限に広がっていく。それらの細部に様々な物語があり、コミュニケーションがあり、秘密があり、感情がある。それと同じように、歴史的な事件として、教科書で教わったことひとつとっても、そこでスポットライトがあたってない無限のしらない真実がある。人が認識できること、共有できることはほんとうにほんの一握りでしかない。それらを共有の認識にするためのツールとしての学校教育、マスメディアの情報は、限られた場所にスポットライトを当てて、人が「これが実際に起きた現実です」と認識するようにしつらえられている。それは記憶の編集作業みたいなものだ。もし、別のところにスポットライトがあたっていたら全く違う認識になったのだろう。そうやって、ある種の共通認識を形作ることで社会を成り立たせているけれど、その規模がどんどんグローバルになっていき、ありえないことなのに、世界中の人がある程度同じ認識になり、何が「現実」か、何が「真実」か、何が「科学的」か、それぞれ共通認識を形作っていると人は信じているかのようだ。特に、力のある人が「どこにスポットライトを当てるか」をよりコントロールする力を持ち、それがこの世の現実になっていく。そういったことは、ずっと昔から続いてきたのかもしれ無いが、昔は、力のある人の側が信じさせようとする現実と、世間で人々の口から口へと伝えられる「感覚」による現実には差があったのではないだろうか?差があって当然だと思う。立場が違うのだからそれが当然だ。しかし、力のある側の物事を信じさせなければいけない範囲は今や全世界であり、そのためには、さらに大きな力が必要になっているだろう。とても大変な作業だ。国際機関というのはそのためにあるようなものなのだろう。小市民の側が知らない間に、様々な「公的」な国際機関が作られている。その中での会議の内容も知らない。どのようなプロセスでルールが書き換えられていたとしてもわからない。どのような方向性で世界を変革させようとしているか、わからない。そして、知らない間にさりげなく、さまざまな「社会正義」を、人々の間からでてきたような演出でプロパガンダとして広めているのかもしれない。そうやって、人々の認識を、つまりスポットライトの当たる場所をうまく操作するような方法論を培っているのだろう。大変な努力家だ。AIなどもそのために活用されているのかもしれない。もっとも、インターネットで世界中の人々の認識を把握できる今となっては、それはいともたやすくできるのかもしれない。また、局所的な話題に人々の意識を釘ずけにすることによって、他の部分にスポットライトが当たら無いようにするというのはマジックショーなどと同じで、現実認識のコントロールの仕方としてよくできた方法だ。長時間釘ずけにするためには、ある程度ショッキングな話題提供がより適しているだろう。また、その話題に死を予感させるような恐怖感が伴えばさらに効果的だろう。詐欺の手法もこのような方法を使って、普通なら信じないようなことでも、段階を追って信じるようさせることができる。かといって、いつも何かを疑っていると、自分で自分の認識範囲を狭めてしまう。それよりは、スポットライトが当たっているような部分とは違った場所に、意識を向ける練習をすることで、限られていると思っていた認識の可能性を広げることができるかもしれない。物を書いているといつも、同じような結論に達するけれど、言うは易し行うは難し。

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