2013年9月8日日曜日

労働が醸すノリ

労働者階級と支配者階級というような区分があるというふうに、とらえたことがなかった。それぞれに、グラデーションのように収入の差異があるだけのような印象をどこかで持っていたように思う。けれど、財産を保有することによってそれを守ろうとする動きをする人々というのは、思った以上にその財産や権利をたくさん持っていて、そういったものを持ったことが無い圧倒的多数の人々は、労働によって圧倒的な時間を過ごすわけだ。また、電気、水道、ガスとそれに伴う便利な道具、洗濯機、ガスレンジ、冷蔵庫、冷暖房、それぞれによって、過酷な環境で過酷な労働をしなくてすむことと引き換えに、けっこうなお金を支払い続けなければならないから、その分他のことで労働をするということになる。それを引き換えないで、自力でできることを少しずつ増やすことで、自治的なコミュニティーのあり方に少しずつ引き戻すことができないだろうか?過酷な労働に耐えるためには、その労働している人を生かすために労働歌がいる。労働歌から派生する踊りがいる。それらは、自分たちのことを自分たちでやっている自負と、それが醸すノリによって立ち上がるだろう。



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