2011年12月9日金曜日

合唱 賛美歌も共有された感覚なのか?

私は子供の頃合唱団に入っていて歌うのはとても好きだった。
そこはキリスト教系の合唱団だったので、賛美歌なども多かった。
それを歌っている時は気分としてそういう気分になっていくというのはあったように思う。

でも考えてみれば50人とか100人とかの人々がみな同じ気分を共有するなんて普通に考えたら無理な話なのに、合唱というフォーマットを使えばそれが成立しているように感じる。実際はもちろんいろいろなはずだけど、あきらかに気分じゃないのに歌うというのは逆に無理があるわけだから、自分の気分をそこに持って行くということだよなあと思う。

だから逆に宗教に勧誘するときにそういうフォーマットを使って同じ気分にさせてしまうということも考えられる訳だ。

お経はどうなんだろう?
お経は、簡単にその気分になるなんていうことはない気がする。なぜなら意味がすぐに分からないから。
もっと違う効果がある。もっと潜在的なところに働きかける効果というものがあるのだろう。

阿波踊りは、あの踊りをしている人々の醸し出す空気と音楽があれば、かなり同じ気分を共有するところに行く気がする。

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