2011年12月7日水曜日

どこでも見つけられる

梅田哲也氏の「大きなことを小さく見せる」展示を見てきた。
それぞれの展示の部屋で、一見して飛び込んでくる視界の状況から、細部に目を凝らさなければ見えてこないもの達に意識が行き始めると、はっと息をのむような神聖な瞬間に立ち会うことになる。そうすると、もうその部屋の意味がそれまでとは全く違う物になる。そうやって、旅をするように歩いたり止まったりして、思ってもみなかったことを発見する、そういったことが無限に続くかと思われるような時間を味わう。

今朝、憂鬱な曇り空で今にも雨が降り出しそうな窓の外を何気なく眺めていた。鳥の群れが千々に乱れながら行き来していて、背の高い柿の木の枝にたくさん止まったり移動したり、去ったり、落ち着き無くしている様をよく見ると、葉の先に何か、そうか虫がいるのだなきっと。そういう見えないレベルの小さな蠢きを、別のものから見て取ることができるとき、その日は景色の意味がもう変わっている。

見つけようと思えば、見つけられる、そういったことごとと共に生きることができたらどんなにいいだろう。

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